上山 雄人(かみやま たけと)
2024.08.25
去る8月11日、長野県の野尻湖でバプテスマを受けました。私は教会生活が長く、今まで多くの信徒の証を聞いてきましたが、自分自身が受洗したクリスチャンとして人前で証をするのは今日が初めての機会になります。私が信仰を得て洗礼を受けるに至った経緯を振り返りつつ、主がどのように私に働いてくださったかをお伝えできればと思います。
私は、曾祖父と祖父、そして現在も叔父が牧師を務めている、代々牧師の家系に生まれました。物心つく頃には教会学校へ通っていて、御言葉にも親しんできました。祖父が健在の頃は教会も栄え、多くの信徒たちから慕われる祖父を幼心に誇りに感じていたことを思い出します。
しかし、小学校低学年の頃に祖父が病に倒れ亡くなったことにより、教会の混乱と、それまで親しくしていた信徒たちの分裂を目の当たりにしました。私は、クリスチャンは心の弱い人がなるものであり、牧師や伝道師は社会からはみ出た人がなる職業なのだと思うようになりました。
祖父の死と教会の問題をきっかけに家庭内にも深刻な亀裂が生じました。私は学校にも行かなくなり、両親や親戚を大いに心配させる少年時代を過ごしました。
そんな私の心に変化をもたらしたのは、2回にわたるアメリカへの旅と、ある宣教師家族との交流です。
大阪の高槻聖書バプテスト教会のジョージ・キング牧師が、私と母と妹を連れ、アメリカの各地の教会に連れて行ってくださいました。そこで出会ったクリスチャン達は、私がかつて抱いていたクリスチャン像とは異なる、ポジティブな印象を私に与えました。また、夕焼けのフロリダの海で、キング先生はこの美しい自然を創造した神様の御業を説いてくださいました。その光景は、今も鮮明に記憶しています。
そのアメリカの旅と前後して、叔父の教会に滞在していていたジェームズ・スミス宣教師の一家と交流を持つようになりました。彼らは私の目から見て、クリスチャンとして理想の家族であり、教養に富んだ彼ら夫妻が本国でのキャリアを捨てて日本に宣教にやってきたという事実は、私にとって衝撃でした。アメリカでの経験や、宣教師一家との交わりの中で、私のクリスチャンに対する考えは変化し、次第にクリスチャンになりたい、イエス様を信じたいと願うようにになりました。そして祈りによって私の心には平安が訪れ、心の底に眠っていた知識としての聖書の教えとイエス様の働きについて確信を持つに至り、2009年の1月、私は自分自身をクリスチャンとして認識しました。
しかし救われた後も、私は教会に所属するということや、信仰を広く他人に告白することには抵抗がありました。祈ることはしても聖書を積極的に開くことをせず、バプテスマにも関心がなく、非常に未熟なクリスチャン生活を送っていました。今思い返すと、当時の私は、神様に寄り頼むことで、自分の願いを何でも叶えてもらえるのではないかという部分に、大きな期待を持っていたのだと思います。
救われて2年が経過し、「勉強が忙しくなる」という理由で、大学院への進学と同時に教会に行くことをやめ、次第に信仰は冷めていきました。そして学業に専念するつもりが、自分の忍耐力のなさと勤勉さの欠如によって、目標としていた学問で身を立てることは叶わず、自分自身にも失望していきました。
神様の存在を日々意識せず、祈ることも少なくなり、半ば自分が生きる意味を失ったまま、流れにまかせて長い年月を過ごしていた時、ある人の紹介によって今の会社に勤め始めました。それまで社会と深い関わりを持ってこなかった私が、突如としてまっとうな仕事を与えられ、経済的にも自立できるようになりました。恵まれた環境で2年ほど悠々と過ごしていましたが、徐々に大きな仕事を任されるようになり、また色々な人と関わるようになる中で、ちょうど今年に入って心を揺さぶられるような出来事が重なって生じました。仕事とプライベートの両面で自分の力では対処の不可能な問題に直面し、その事が私を再び信仰に立ち返らせてくれました。
改めてイエス様に寄り頼むようになった私は、以前とは異なって聖書を開くようになり、バプテスマの意味と、イエス様ご自身がクリスチャンにバプテスマを示しておられることもすぐに理解しました。
そして、数カ月前から、2013年に宝塚ルーテル教会で出会ったマイケルセン先生と、オンラインで洗礼に向けた勉強を開始し、今年4月、東京のGrace City Churchで偶然出会ったティエリ先生とも交流を持つようになり、今回、野尻湖でこのお二人から洗礼を授けていただくことになりました。
遠回りをしたように感じますが、この道でなければ、ティエリ先生たちとの出会いはなかったでしょうし、イエス様の弟子として生きること、聖書を深く知りたいと願うようになることもなかったのではないかと思っています。
幼い頃教会学校で暗唱していた聖句に、「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」というローマ人への手紙8章28節の御言葉があります。
たしかに、私自身生きてきた中での後悔や傷もあり、日々の生活の中で今なお、満たされていないと感じる事もあります。しかしそのような私の思いも神様によって砕かれ、癒され、最終的に全ての事を益としてくださると私は信じています。
今、私はイエスの十字架によって完全に赦されて、神様の子供となったことを心から感謝しています。そして、やがて私自身も、内在する聖霊によって、イエス様の似姿に日々変えられていきたいと思うと同時に、かつて私に信仰のきっかけを与えてくれたクリスチャンたちのように、いつか私自身の姿や働きや福音を語ることを通して、イエス様の存在を誰かに感じてもらえるようになりたいと強く願っています。それが今の私の人生の目標です。
以上
MCT礼拝予定(9月〜12月)
月日:9月22日、10月27日、11月24日、12月15日
時間:9時45分開始
問合せ:平野(jbhirano@tokyomarunouchipartnership.com)
祈りの課題〜いつもお祈りありがとうございます
- ノンクリスチャンの方々へのアプローチに知恵を以って招待できますように。
- 礼拝者が互いに親しみを深めていくことができますように。