夕暮れには涙が宿っても
朝明けには喜びの叫びがある
詩篇30:5–6
件名:訃報 古川優さん逝去のお知らせ
宮下牧人
サムライ・プロジェクツ ディレクター
親しい人の早すぎる死など、主がなぜそのようなことを定められたのか、私たちはしばしば理解できない。しかし、主は私たちの祈りに、私たちが想像したり望んだりする以上に、真に、善く、美しく答えてくださることは知っている。
「夕べがあり、そして朝があったように(創世記1:3-5)、「夕暮れには涙が宿っても 朝明けには喜びの叫びがある」。(詩篇30:5)
世の光であるイエスが、私たちの罪を贖うために私たちの身代わりとなって死なれたとき、太陽は暗くなった(イザヤ13:10、34:4、エレミヤ4:23)が、イエスは約束どおり三日目に死からよみがえられた。闇が光に打ち勝つことはなかった(ヨハネ1:5)。イエスが再臨される日、夕べはなく(黙示録21:23-25、22:5-6)、神は私たちの涙をすべて拭い去ってくださる(黙示録21:1-5)。
主は、私たちよりもほんの少し早く、優さんの涙を拭い去り、彼女の苦しみをすべて取り除くと決められたのだ。だから不思議なことに、優さんはイエスの御前でこれまで以上に生かされている。クリスチャンにとって、死による別れは一時的なものに過ぎないとはいえ、悲しみはある。イエスは、マリアとマルタが兄弟ラザロのことで泣くのを見て泣かれた。だからイエスは私たちの悲しみをよく知っておられる。そして、私たちは確かな希望なしに悲しむことはない。
「友のために涙し、友のために命を捨て、再びそれを取り上げた方」(ヨハネ10:16-18)が、ご自分とともにいるために優さんを連れて行ってくださり、その方が戻って来られるときには、私たちも一緒になって賛美することができると確信している。
古川優さんへ
~召天式でのメッセージ~
橘直樹 師
ヒズ・プレゼンス・チャーチ牧師
カフェ The Bridge オーナー
(古川優さんの葬儀におけるメッセージ 2024年12月4日(水)
本日お集まりの皆様に、私の方から故古川優さんの地上における略歴をご紹介させていただきます。申し遅れましたが、わたくし本日の司会を務めさせていただきます、優さんがおられたキリスト教会であるヒズ・プレゼンス・チャーチの牧師で、また優さんが働いておられたカフェThe Bridgeのオーナーであります橘と申します。なにぶん不慣れですので、至らない点がありましたらご容赦ください。
私と優さんの出会いは2021年のクリスマスではなかったかと記憶しています。あるシンガポール人宣教師に連れられて、ボーリングのイベントに参加されました。しかし本格的に関わるようになったのは2023年の1月からです。住み慣れた大阪の地を離れ、京都で私たちの教会のために仕えたいと言って来られました。新しく仕事を見つけ、新しい住まいを借りて毎週日曜日の礼拝に参加されるようになりました。そしていよいよその年の6月から始まったカフェThe Bridgeの開業スタッフとして働くようになられたのです。さて話は前後しますが、彼女は1983年9月20日豊中市に生を受け、外語専門学校を卒業するまで日本におられましたが、2011年にニューヨークへ行って1年間、留学をサポートする仕事に就かれました。そこでのクリスチャンとの出会いが彼女のイエス・キリストへの信仰を芽生えさせたのです。帰国後、2012年、ある教会で洗礼を受け、しばらくは神戸の教会に所属しておられたそうです。そして京都へ来られる前の最後の仕事は、大阪大学吹田キャンパスでの障害者雇用チームで障害者を指導する働きに就いておられました。そしてある日、私どもの宣教師とバスの中で偶然出会い、その後、度々京都まで礼拝に来ておられたのです。
さて、2023年1月から今年の7月までの約1年半の間、彼女は教会においてもカフェにおいても目覚ましい活躍をされました。何よりもその優しさや謙虚さは特筆に値します。牧師である私なんか比べ物にならないほど、誰に対しても丁寧で優しくて、誰からも好かれていました。その優しさは多くの人々を惹きつけました。ひとつのエピソードとして、カフェでよく見る光景ですが、お店の外にメニュー看板があるのです。それを見ているだけで立ち去るお客様はたくさんおられます。わたしなんかが出ていくと、たいてい蜘蛛の子を散らすようにいなくなるのです。しかし、優さんが出ていかれると、なぜかその場でお話をするようになり、しまいには入って来られてお客様になるということがしばしばありました。きっと初対面の方も優さんの優しさに触れて心が癒されるのだと思います。
優さんは英語が堪能なので、教会において通訳や司会、そして外国人客が多いカフェにおいてもよく英語で対応してくださいました。礼拝のメッセージや洗礼式の御用もしてくださいました。そして何よりも彼女を特徴づけているのは、アウトリーチという伝道活動です。皆様のお手元に小さなカードが配られていると思います。その裏に書いてあるイラストをご覧ください。
彼女はそれをもって街へ出かけていきます。そして出会った人に声を掛け、そのカードを見せて聖書の福音について次のように説明するのです。赤いハートのところは神様と人間が良好な関係にあった状態をあらわしています。ところが、自分で何でもできると判断した人間が神から離れたため、世界が堕落していきました。それがグレーで書かれたところです。家族の崩壊、戦争、ウィルスなどさまざまな困難が襲ってきました。解決を求めてイエス・キリストに救いを求めました。それがイエローのところです。イエス・キリストはそんな人間の罪深さを十字架で背負って身代わりに死んでくださいました。この方を信じる者はイエス・キリストが死から復活されたのと同じように復活し、もう一度神との良好な関係が回復するのです。というように説明して、教会へお誘いされるのです。彼女はこのアウトリーチが大好きでした。今年の暑い夏の日盛りにも帽子と日傘をもって出て行きました。そして汗だくで真っ赤な顔をして帰ってくるのです。私が知っている優さんは、イエス様大好き、教会大好き、The Bridgeカフェ大好きでした。
ところが夏を過ぎたころから急激に痩せ始めたのです。だんだん食べなくなっていきました。そして、なぜか自分自身を責めるようになっていったのです。彼女の心の中の移り変わりを正確に知ることはできません。まったく人を責めない、優しい優さんが自分を責め続けるのです。わたしと妻は戸惑い、いろいろな専門家に相談し、カウンセリングや心療内科などあらゆる手を尽くしました。9月には彼女の体力は限界に達したように見えました。ご両親が心配して駆けつけてくださり、9月末にはとうとう大阪へ帰られたのです。私たちはこれを単に摂食障害という精神的な病気であるというふうに片付けるつもりはありません。彼女の中に起こった何か曲がった考え方が彼女自身を責め続けるということにつながったのではないかと考えますが、本当のところは誰にもわかりません。ただひとつだけ言えることは、クリスチャンの命はすべてイエス・キリストの手の中にあって、それぞれ最善の時に天に召されるということです。そのタイミングは有限の人間には理解しがたいことですが、永遠を知っておられるイエス・キリストが最善と考えておられるタイミングなのです。
10月に入ると、優さんは入院先の病院からさらに大きな病院へ転院しました。その直後11月2日、心臓が一時停止し、再び動きましたが、意識がもどりませんでした。5日間意識をなくしていたのですが、奇跡的に意識がもどりました。しかし、内臓機能、特に腎臓に大きなダメージが残り、人工透析が始まりました。しゃべることや身体を動かすことはできませんでしたが、それでも意識はしっかりしていて、目を閉じたり開けたりしてお母さまと意志の疎通ができていました。
11月11日に感染症の危険を避けるため気管挿管しました。お母様は耳元で優さんの大好きなクリスチャンの音楽や聖書朗読のCDなどを流してくださいました。11月28日、とうとう治療が限界に達しました。血圧が50まで下がったのです。回復して60で落ち着きましたが、予断を許しませんでした。担当医師は鎮痛剤を入れて眠らせることを薦めたそうですが、そうなると意志の疎通ができなくなるので、ちょっと待って欲しいとお母さまは懇願されました。11月29日、私とひろ子さんで作ったボイスメッセージを聞かせてあげたそうです。そのとき、目を見開き、ご両親の指を力ない手で精一杯握って反応して下さったそうです。これが最後の会話となりました。41歳という早すぎる最期でした。
皆さんのお手元にある故古川優召天式と書かれた紙をみていただけますでしょうか?そこにヨハネの福音書の一節が書かれていると思います。これはイエス・キリストご自身が語られたことばです。お読みします。
「まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」
これはイエス・キリストが十字架に架かって死なれる直前に弟子たちに語られたことばです。麦は地に蒔かれなければ、新しく芽を出して実をつけることはありません。イエス・キリストは人類の現在過去未来のすべての罪のために、ひとり十字架にかかり、すべての裁きを身代わりに受けてくださいました。それによって、人類救済計画が完成したのです。それを豊かな実を結ぶというように表現しています。
さて、私は今回優さんの訃報にあたり、この1節を思い出していました。優さんは地に落ちて死なれました。もちろん、イエス・キリストと違い、誰かの犠牲になったわけではありません。しかし、彼女が天に召されたことによって、決してなくならないもの、つまり実が残ったのです。それは種と言っても良いでしょう。皆さんおひとりおひとりに語られた優さんのことばを思い出してください。彼女の優しいことばや励ましのことば、それらは種のように皆さんの心に蒔かれたのではないでしょうか。それらはやがて芽を出し、成長して花を咲かせるでしょう。その時、思い出していただきたいのです。彼女が蒔いてくれた種は、彼女が大好きだったイエス様からもらった愛だったのだということを。イエス様の愛であなたは癒され、励まされ、勇気を与えられたのだということを。そして、今度はあなたが、次の誰かに種を蒔くのです。そのようにして優しい、励ましの世界は広がっていきます。これを神の国と聖書は言っているのです。
優さんは最後にご自分を赦して、イエス様に迎えられたと信じます。ご両親様の指を精一杯の力で握りしめた優さんの手がそれを証明していると思います。わたしたちが送ったボイスメッセージを紹介します。
「優さん、毎日あなたのことを思っています。あなたは私たちHPCの家族です。刺繍には裏と表があります。たとえ裏側がぐちゃぐちゃだとしても、表はとても美しいバラの花になっています。
優さんが自分のことを役に立たないものだと思っていたとしても、神様はあなたのことをそのようには見ておられません。あなたは神様から見て最高傑作なのです。
『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。』と神様は言っておられます。
どうか自分のことを責めたり、あきらめたりしないでください。あなたには神の最高傑作として歩む喜びに満ちた人生があります。どうか元気になって、もう一度ブリッジに戻ってきてください。みんなが優さんのことを待っています。Welcome back HOME お帰りなさいと言ってあげたい。待ちきれません。一日も早く帰ってきてください。」
これでお話を終えますが、彼女が人生の最後の1年半の間、どれほど輝いていたかを見ていただいて、その源泉が彼女の大好きだったイエス様から出ているんだということを知っていただければと思い、スライドショーにしました。皆さんの目で見ていただき、彼女の喜びの源泉は何だったのか、そしてその同じ喜びが種となって皆さんの心にも蒔かれていることに想いを馳せていただければ幸いです。